音楽の友・批評9月号2011
今チェリストは国内外で若手実力者が続々と現れて来ている。鈴木ライナー龍一はベルリンに生まれ、西欧に学びそのままドイツを拠点に活躍しているといったせいもあるのだろう、日本ではまだそれほど知られた存在ではない。今回は難物の三曲のチェロ・ソナタに真っ向から臨んだプログラム。R.シュトラウスはチェロのフレーズとしては過酷な要求をする楽想に特徴がある。それを苦もなくしかも朗々と響かせる。過度な表現はない。かといって地味な演奏にはならない。誠実に曲の真価に近づいて行くようなアプローチだ。ショスタコ ー ヴィチも然り。ショスタコ ー ヴィチ特有のシリアスなタッチとパロディックな楽想との落差を生彩に表現していく。聴きものはブラームス「第一番」。重厚にして滋味深い曲の特性を着実にいわば原寸大で写し取っていくような演奏だ。加藤洋之のピアノが実に巧みで、決してチェロ・パートを音量的に殺すことなく、また音楽的にも拮抗し絡みつつ強力な支えとなっており、濃密な演奏ながら痛快な印象が残った。
(7月21日・ヤマハホール)齋藤弘美
CD Recension "my cello my soul"
by CLASSICS TODAY(Germany)
***Highest Rating***
鈴木ライナー龍一がチェロの名手であるという以上に真の音楽家であることは、ブックレットに載っているチェリビダッケの推薦文を読まなくても、このCDを聴き始めて間もなく明瞭になる。日本人音楽家の両親の元にベルリンで生まれ、ドイツで成長し、ロンドン王立音楽院でW.プリースに、その後ベルリン音大でW.べトヒャーに師事。最優秀で卒業。 国際音楽コンクール入賞後、ソリストとして、又R.クスマウルや、安永徹など著名な演奏家と室内楽活動をしている。信仰告白のようなタイトルの彼のデビュー盤「my cello my
soul 」はチェロとオーケストラのためのロマン派曲の室内楽版を集めたものである。鈴木は比類ない音の抒情詩人であり、彼の天性の音楽性は聴く者の魂に直接触れてくる力がある。珠玉作品を集めたこのようなプログラムは、表面的な技巧のひけらかしになる危険があるものだが、芸術に対峙する鈴木の姿勢は簡素だが趣味の良いジャケットのデザインにも反映されている。冴えた技巧と、それ以上に、彼の音楽の自然さ、驚くべき表現力の豊かさ、入念なアゴーギクのニュアンスの付け方、そして多彩なヴィブラートを通して証明される演奏のコンセプトは、芸術作品に奉仕する彼の真摯な姿勢の表出である。又、それぞれの作品、及び作曲家個有の語法と響きの色調を明確に表現する事にも成功している。例えばグラズノフとチャイコフスキーの深い憂愁、サラサーテ、ドボルザーク、ポッパーの民俗音楽的な情熱、又はレスピーギとシュトラウスの大きなロマンティックな表情というように。鈴木は総譜の音楽的な本質に常に真剣に向き合い、彼によって、稀に聴く深い感情表現を与えられたこれらの曲は、ヴィルトゥオーゾな魅力ある小品という位置づけからずっと高く引き上げられる結果となった。
私自身はこれほどの深い表現は聴いた事がないという意味でも特に3曲に感銘を受けた。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(元々良く演奏されるヴァイオリン曲の逸品である。)を、鈴木は原曲に忠実に自身でチェロ用に書き換えたが、まるで本来からチェロの曲のようだ。 レスピーギの「アダージオと変奏」オーケストラのようなピアノの響きと相まって輝くような演奏である。そしてR.シュトラウスの「ロマンス」で、 全プログラムを哀愁の内に締めくくる。 録音技術は非の打ちどころがなく、2つの楽器のバランスも申し分ない。3カ国語(独、英、和)で書かれたブックレットには、曲目解説及び演奏者について記されている。
印象深い、そして大きな期待を持たせるCDデビューである!
ハインツ・ブラウン(05.05.2011)
ロディオン シチェドリン(Rodion Shchedrin 作曲家)
すでに私は何度もこの若きチェリスト、鈴木ライナー龍一の演奏を聴く機会があり、その度に私は自分の評価が正しいことを確信するのだ。
彼はその音楽的才能に、人々からの多いなる希望を託されているのだと。
龍一が天与の才能に恵まれていることは明らかであり、素晴らしいテクニックとセンス、そしてとりわけ美しく暖かい音色を彼は意のままにする。
ヴォルフガング ベトヒャー教授(Prof.Wolfgang Boettcher チェロ奏者)
彼は驚くべきテクニック、美しく充実したチェロの音色、音楽的表現力に基づく幅広く明瞭なスケールを駆使できるだけでなく、彼は聴衆をひきつける天分をももっている。
セルジュ チェリビダッケ(Sergiu Celibidache 指揮者)
鈴木ライナー龍一がとても才能豊かで、極めて熟達したチェリストである事を私はよく知っています。私は端々に、彼の大いなる才能を見受けることができました。私は彼のあらゆる努力を高く推薦し、彼が大きな成功を得ることを信じています。
南ドイツ新聞(Süddeutsche Zeitung 2000年)
鈴木ライナー龍一は楽器と、そしてドヴォルジャークによるアメリカボヘミアンの音楽を、驚くべきテクニックと明らかな音楽性をもって意のままにする。
最後まで聴衆の歓声が止むことがなかったのも不思議ではない。
南ドイツ新聞(Süddeutche Zeitung 2003年)
驚くべきテクニックと力強い音、そしてアメリカとボヘミアの音楽スタイルを調和させる事のできるすぐれた表現解釈によって、才能に恵まれたチェリスト鈴木ライナー龍一は「聴衆の心」を掴んだ。
ミュンヘン メルクーア(Münchener Merkur 2003年)
文化祭開幕コンサートにおける最大の聴き所は、やはりドヴォルジャークのチェロ協奏曲ロ短調の演奏だった。
そのヴィルトゥオーソの名は鈴木ライナー龍一という。
彼はドヴォルジャークの憂愁にこもったエネルギー溢れる魅力を、寸分違わず表現した。
我々はただそのチェロを聴くだけで、何の苦もなく音と響きの世界を得ることができる。
卓越したテクニックと滑らかなアタック、そして才能をもって彼の楽器は涙を誘う。
そして鈴木はドヴォルジャークの広大さと深遠さを併せ持つ作曲センスを見事に察知し、聴衆のみならずオーケストラまでをも至上の音楽世界へと導いた。
また、彼の弾くカザルス“鳥の歌”は、それまで聴いたことがないほど繊細であった。
要するに、彼は楽器と作品に魂を込めたのだ。